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生きない/七人の弔
「七人の弔」という映画が、たけし軍団のダン
カンの手になる第1回監督作品だという事を知
って、俺はちょっと混乱してしまった。
というのも、ダンカンの映画、という意味では
俺の中では「生きない」が鮮烈に印象に残って
いたからだ。
慌てて調べ直したら、「生きない」の方はダン
カンは脚本だけを担当していた。とはいうもの
の、俺の中ではそれを確認した今でも「生きな
い」は「ダンカンの映画」なのであり、そうい
う意味では、「七人の弔」は、俺にとっては2
本目のダンカンの映画だという事になる。
これが俺の勝手な思い込みなのか、それとも本
当にこの2本が同一人物の作品だと認識するに
足る映画なのかは、論より証拠に、この2本を
見比べてみるといい。どちらの映画も客を待つ
ツアーバスと、その添乗員であるダンカンから
始まる。つまり、この2本の映画は、導入部が
完全に韻を踏んでいるのである。
「生きない」の方は、家族に生保による遺産を
残そうとしている人達ばかりの人生最後の自殺
ツアーに何も知らず何の関係もない女の子が普
通のツアーと間違えて紛れ込んでしまう話で、
「七人の弔」は何も知らない我が子を移植用の
臓器提供のドナーとして売り渡す目論見の親達
が、その子供を臓器カルテル?に売り渡すため
に用意されたキャンプツアーに子供と一緒に参
加する話だ。
どちらも真面目に考えれば地球が逆転しても冗
談のネタにすることが出来ないような厳粛なテ
ーマだし、実際真面目に考えれば考えるほど思
考が錯綜してしまうような重厚な話ではある。
そんなテーマを、二コリともしないで不謹慎に
弄び、ヒューマニズムも道徳も倫理も見境なし
に踏み躙り蹴散らして突き進むダンカンの、そ
の苦みばしって凄みの効いたブラックユーモア
が、理屈を超えてとにかくカッコいい。
ダンカン自身が発する無気力なダルさも、その
カッコよさにさらに拍車をかけているような気
がする。
だってそうではないか。ブラックユーモアは額
に汗して頑張ってやるよりも、実際には信じら
れないくらいに頑張っていたとしても、その努
力を微塵も感じさせないように軽々とやっての
けるほうが段違いにスマートなのである。
日本人は真面目な人が多いから、こういう映画
に対して、不謹慎だとか、悪趣味だとかいった
酷評が下されるような事態も当然起こり得るだ
ろうな、でも、自殺だとか我が子の虐待だとか
いった重いテーマを不謹慎に、かつ、悪趣味に
扱うところにこそ、ブラックユーモアの存在意
義があるはずなのだ、といった思いが、俺の中
に強く湧き上がってくる。
自分が死ぬことによって得られる金でしか家族
を救えないだとか、子供を日常的に虐待してい
る親が我が子を臓器売買のドナーとして提供す
だとかいったテーマは、当事者にとっては、絶
対に奇麗事では済まされない壮絶なテーマであ
るはずなのであり、第三者がそうしたテーマと
向かい合った時に、俺が一番不愉快なのは、綺
麗事では済まされない部分には完全に目を瞑り
目を背け、そして一般論での当たり障りのない
美辞麗句だけを並べ立てて事を済まそうとする
マスコミにありがちな事なかれ主義的な批評を
恥ずかしげもなくひけらかすド阿呆共がいる、
という現実で、ダンカンのこの2作品に見られ
るようなブラックユーモアは、そうしたテーマ
に直面している当事者達ではなく、そんな当事
者達をしたり顔で批評するド阿呆をこそ笑いも
のにしているのであり、そこの部分が俺などか
らすると、もうどうしようもないくらいにカタ
ルシスなのである。
ダンカンには、この路線でまだまだ色々な映画
を撮ってもらいたい。
3作目(2作目?)もオープニングが観光バス
と、ツアー客を待つダンカンの絵から始まった
ら、本当に楽しいだろうなぁ。
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ジョゼと虎と魚たち
/メゾン・ド・ヒミコ
動機はとことんいい加減で不純だった。
「ジョゼ‥」については、ただ単に池脇千鶴の
ヌードを一目見ておくのも悪くはないかな?位
の動機だったし、「メゾン‥」は、柴咲コウが
どんな芝居をするのか?を、これも一目見てお
くのも‥位の軽い了見だったのだ。
だから当然予備知識もなにもなく、この2本を
続けて観たのは、紛れもなく偶然の産物以外の
なにものでもなかった訳なのだ。
そんなていたらくで接した「ジョゼ‥」と「メ
ゾン‥」の2本は、実はどちらも犬童一心とい
う監督が、しかも連続して撮った映画だった。
「ジョゼ‥」は身障者の女の子と健常者の大学
生との恋愛ストーリーで、「メゾン‥」はゲイ
バーのママが店をたたんで始めたゲイ専門の老
人ホームで働くことになる女の子の話だ。
どこかで誰かがこの2作品について、「片輪の
次は変態か。この監督の映画は出来損ないの主
人公ばっかりだな。」みたいな2ちゃんねる的
な捨て台詞を吐いていたが、そのドギツい煽り
文句を目にするまでは、俺はその2本をしっか
り観ていたのにも関わらず、2本の映画の題材
の、その社会的不適合性については全く思いを
馳せることがなく、その文を読んで、初めて
「あぁ、そういえばそうだな。」
と思ったりもした。
主人公や登場人物達の、その特性を見落とすと
いうのは、まず第一に俺が無神経でがさつで馬
鹿だからなのだが、それと同時に、犬童一心監
督の描き出す映画の登場人物達が、彼らの抱え
るウィークポイントを、観ている者に思わず忘
れさせるほど強烈なキャラクターの持ち主ばか
りだったから、という理由も大きいと思う。
「ジョゼ‥」では恋愛、「メゾン‥」では相克
と、その関係性は明らかに正反対のベクトルを
持ってはいるが、恋愛も相克も、実は同程度の
エネルギーを必要とする「魂同士の凌ぎ合い」
な訳で、そう考えると、「ジョゼ‥」も「メゾ
ン‥」も、健常者と社会不適合者の命がけのぶ
つかり合いの映画だという事が出来るのではな
いか?
こんな風に「魂同士の凌ぎ合い」とか「命がけ
のぶつかり合い」とか書くと、まるでこの2作
品が激烈極まるドラマのように感じられてしま
うかも知れないが、実際は全く逆で、2作品に
共通しているのは、「優しさ」や「柔らかさ」
や「穏やかさ」だ。
低いバリトンの声でゆったりと語られるような
独特のテンポで紡がれる犬童一心監督の世界は
、そんな穏やかな語り口ゆえに、観る者の心に
深く深く分け入ってくるような気がする。
ハンディキャップを持った人間を題材として採
り上げた映画は、往々にして、そのハンディを
乗り越える事の尊さを必要以上に美化して描い
てしまい、結果的にそれを観る健常者に、「へ
いへいなるほど確かにごもっともで立派なお話
でございますねぇ。でも、こういう奴(ハンデ
ィを背負った主人公)とは友達にはなりたくな
いね。だって、一緒にいても煙たくてたまらな
よ。」といった感想を持たれがちだが、「ジョ
ゼ‥」も「メゾン‥」も、出てくる生活不適合
者が、皆人間的な欠点を持っている所に、なん
ともいえない風通しのよさを感じてしまう。
ハンディキャップがあればそこからコンプレッ
クスが生まれるのは当然の話だし、コンプレッ
クスがあれば、社会に対して常に敵対的な臨戦
態勢で挑むのは、もっと当然な事だと思う。
犬童一心監督は、そんな社会不適合者を、野に
咲く花をカメラでスナップするように、衒いや
迷いのない真っ直ぐな目線で描き出していく。
そして、その地に足の着いた清廉さから生まれ
るどうしようもない穏やかさに、この2本を観
た俺は完全にKOされてしまったのだった。
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不夜城
俺は表向きには小説の中でもハードボイルドが
特に好きで、日本のハードボイルド作家の中で
は大沢在昌が大好き、などといっているが、本
当の事をいうと、自分の魂の中の一番どす黒い
部分が最も強く惹き付けられるハードボイルド
作家は、馳星周だ。
その馳星周のデビュー作(だったかな?)を映
画化した「不夜城」は、大沢在昌原作・滝田洋
次郎監督の「眠らない街・新宿鮫」、奥田瑛二
主演の「ありふれた愛に関する調査」と並んで
俺の中では邦画ベスト・ハードボイルド三部作
になっている。
ちなみに、些事だが、映画「不夜城」の英題は
「SLEEPLESS TOWN」。大沢在昌の小説「新宿鮫
」の映画化作品も、小説のタイトル「新宿鮫」
はサブタイトルとして扱われて、メインタイト
ルは「眠らない街」だ。この偶然の一致が、な
んともいえず面白い。
で、この映画「不夜城」については、いつでも
観る事が出来るように、とビデオに録画してあ
ったのだが、昨今はビデオは最早過去の産物で
あり、DVDが全盛だ。しかも、ビデオは画面
の左右が16:9から4:3にカットされてい
て、それがどうしても面白くない。
そこで、けっこういい値段なのだが(定価が6
千円也)DVDを買ってしまった。
一応俺はこの「不夜城」を邦画というくくりで
捕らえているが、厳密に言えば、これは日中合
作の映画だ。クレジットロールを見ていても、
スタッフ、キャスト共に日本人名中国人名が入
り混じっている。ちなみに監督は季志殻(リー
・チーガイ)だ。
そういう事もあってか、映画「不夜城」は、邦
画でありながら、まるで香港フィルムノワール
を観ているような不思議な心持ちを味わえる映
画で、それがこの映画の最大の魅力のひとつに
もなっていると思う。
悪漢達が謀略と裏切りの中で疾走する馳星周ワ
ールドが実に巧みに、かつ、スタイリッシュに
映像化されているのも特筆に価する。
一部では呉富春を演じた椎名桔平がミスキャス
として失笑を買っているようだが、俺は全然そ
うは思わない。椎名桔平は、この映画で実にい
い仕事をしていると思う。
いい仕事といえば、主演の金城武はもちろんの
事だが、ヒロインである佐藤夏美を演じる山本
未来がもうたまらなくいい味を出している。
確か元々はこの佐藤夏美の役は、当時人気絶頂
だった葉月里緒菜が演じるはずだったと思う。
葉月里緒菜が演じる夏美も、それはそれでミス
テリアスでよかっただろうとは思うが、結果的
には代役で抜擢された山本未来が、美味しい所
をゴッソリと独り占めしてしまった感じだ。
後、この映画の一般評で、途中の温泉シーンが
「TVの2時間サスペンスみたいでいただけな
い」と不評なようだが、これも俺的には全然O
Kだ。こういう、ある意味イノセンティックな
部分があるからこそ、馳星周のドラマは、その
どす黒さや哀しさの魅力が引き立つのだ、と俺
は思う。
人情万歳(マンセー)お涙頂戴が定番だった邦
画の世界でも、今ではこんな風にクールなピカ
レスクロマンが描けるようになったのだなぁ、
という感慨が、この映画を観る度に胸中にこみ
上げてくる。
「ありふれた愛に関する調査」はともかく、滝
田洋次郎の「眠らない街・新宿鮫」も、この馳
星周の「不夜城」も、とてもよく出来た映画だ
と思うのに、原作がそれから先も続いているに
も関わらず、映画の方がどちらも単発で終わっ
てしまっているのが残念でならない。
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レイクサイド マーダーケース
10代の頃からずっと洋画、それも欧米映画命
だったが、いつの間にかそれ以外の国の映画も
美味しく戴くようになり、今ではもっぱら邦画
ばかり観ている。
これは俺自身が変わってきたからという事もあ
るだろうし、それと同様に邦画自体も変化して
きたからなのだと思う。
有り体にいってしまえば、邦画の変化というの
は、邦画界のTV界への迎合だともいえるのだ
ろうが、現実問題として、事面白さに限ってい
えば、映画よりもTVの方が面白いのだから、
こういう流れは素直に歓迎すべきだと思う。
そういう流れの中でも、やっぱり映画の持つ映
画らしさというのは姿形を変えて残っていくも
のの様で、この映画「レイクサイド マーダー
ケース」も、多分あまりTV向きではない題材
を採り上げた映画なのだろうと思う。
中学へのお受験を控えた3組の家族の、湖畔の
別荘を使った夏季合宿中に起きる殺人事件が映
画の表向きのメインストーリーなのだが、この
映画には、お受験というものに対する塾(指導
者)側の、子供側の、親側の、様々な思惑や感
情がきめ細やかに描かれ絡み合うことで、よく
出来た舞台劇を観ているような重厚なドラマを
味わう事が出来る。
それにしても、この映画に出てくる役者達は、
皆が本当に演技を楽しんでいるのがよく分かる
のが観ていて本当に心地いい。黒田福美や杉田
かおる、鶴見辰吾は堅実にしっかりとバイプレ
イヤーとして過不足なく脇を固めているし、役
所広司や柄本明が巧さの本領を存分に発揮して
いるのもさることながら、俺的には、薬師丸ひ
ろ子と豊川悦司がたまらなく良かった。
薬師丸ひろ子も、豊川悦司も、いってみれば、
かつて一時代を風靡した経験を持つスターだ。
その二人が、人気の山をちょうどいい頃合いま
で下り降りて、ちょうどいい按配に草臥れて、
程よい剣呑さを漂わせながら演技をしているの
を観るのは、格別な味わいがあると思う。
ビリング(役付け)としては前述した俳優達の
後に回ってしまうが、物語のキーマン(キーウ
ーマン)となる眞野裕子もピリリと小気味よい
印象を残している。
お受験といった今日的な問題をテーマとして採
り上げている関係上、果たしてこの映画が今後
普遍的に名作として語り継がれるかどうかとい
う部分については多少の疑問が残るが、なに、
そんな事はどうでもいい事なのである。
題材がいくら古びて時代から外れようと、役者
の好演は決して色褪せたり古びたりはしないだ
ろうし、この映画は、そんな役者の演技をこそ
心行くまで味わえる映画なのだ。
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交渉人真下正義
「踊る大捜査線」のシリーズは、その確信犯的
なコミカルさが好きで、TV、特にドラマは滅
多に観ない俺もTVシリーズの頃からずっと追
いかけていたが、何分飽き性なもので、途中で
追いかけ続けるのに息切れしてしまい(汗)、
ずっと放り出してしまっていた。
そんな俺なのだが、つい先だってその「踊る」
シリーズのスピンアウト作品である映画「容疑
者室井慎次」を観る機会に恵まれた。
で、感想は、というと、今一今二をずっと下っ
て、正味な話今三今四といった印象を受けた。
映画「容疑者室井慎次」を観るのとちょうど前
後して、実相寺昭雄監督の映画「姑獲鳥の夏」
も観たのだが、「室井‥」と「姑獲鳥‥」は好
対称な映画だな、といった印象を持った。
具体的にいうと、「姑獲鳥‥」が努力の末の失
敗作だとすると、「室井‥」は安易な成功作、
といった意味で対称的だと思ったのだ。
そんな訳だから、映画「交渉人真下正義」も、
多分どうせ過去の本シリーズの人気におんぶに
だっこの安易な柳の下のどじょう狙いだろうと
いう先入観を持って観たのだが、どっこいそれ
がさにあらずで、実に面白く、楽しく観る事が
出来た。
娯楽映画というのは、観客を、どれだけ「あり
もしない嘘の世界」に浸らせることが出来るか
が最大のポイントだろうと思うし、そういう意
味では、「真下‥」を観ている間、実は2〜3
箇所、台本の不備によるストーリー進行の強引
さで、危うく「素」に戻りかけることがあった
が、結果的にはなんとか持ち堪えて最期まで物
語の世界に浸り続ける事が出来たのはなにより
だった。
見せ場に使われているCGのチープさについて
は、敢えて目を瞑り、見て見ぬふりをしてあげ
ようと思う。
これはCGで見せる映画ではなく、ストーリー
で引っ張る映画なのであり、だからストーリー
さえしっかりしていれば、CGが多少チープで
あっても全然無問題なのである。
内容についてはネタバレをしてはいけないので
触れないでおこおうと思う。
俺がこれを観たのは夏。ストーリーの設定は冬
で、全然季節外れだ。そんな風に季節外れな時
期に観てもこれだけ楽しめたのだから、これを
実際にクリスマスシーズンにカップルで観たり
すれば、本当に極上のひとときを過ごせるだろ
うと思う。
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NANA
ILMといえば、洋画が好きな人間なら誰もが1
度は耳にした事がある、泣く子も黙るSFXの超
名門スタジオだが、そのお偉いさんに日本人の
マスコミがインタビューしたのをかつてどこか
で俺は見た覚えがある。
いつか日本映画でもILMのSFXを見る事が出来る
のでしょうか?というそのインタビュアーの身
のほど知らずな質問に対して、そのお偉いさん
は、鈍感な俺が見てもはっきりそうだと分かる
ほどの深い憐憫の情を湛えたまなざしでインタ
ビュアーを見つめ返した後、No。それはないだ
ろう。日本映画にそれだけのコストをかけられ
る余裕があるとは思えない。ただ、例えば、PV
のようなミュージック・クリップであれば、日
本のスタッフと共同作業する事は可能かも知れ
ない。と、はっきりと答えたものだ。
これは日本映画の本質をとてもストレートに突
いた回答だと思う。SFXでは日本は米国には到
底敵わない、という事なのである。
だが同時にこの回答からは、PVの分野であれば
日本は米国と対等に渡り合える、という可能性
も見出す事が出来ると思う。
だったら、日本映画は特撮に血道をあげるので
はなく、J-POPのPV映像を映画に取り込めばい
い、という事になる。
NANAは、それが成功した好例だと思う。
音楽と演奏やコンサートシーンにきっちりとお
金をかけて、少女漫画のストーリー展開を持ち
込んだ時点で、なるほどNANAの成功は確約され
ていたのかも知れない。
そういうツボをしっかりと押さえておけば、例
え中島美嘉が二十歳では無理があり、それより
なにより大根だったとしても(笑)、映画はこ
んなに面白く、素敵に出来上がるのである。
聞けばこの映画、続編が作られるらしい。
今からその続編が待ち遠しくてならない。
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Mr.&Mrs.スミス
メイド・イン・ハリウッドのアミューズメント
パークテイスト満載のお馬鹿映画の決定打だ。
こういう映画に小難しい理屈を述べたり、枝葉
末節にこだわってあげ足を取ったりするのは
「野暮」というものであり、観る側としては、
ただひたすらリラックスして楽しんで笑ってハ
ラハラドキドキしていれば、それで万事OKな
のである。
バカボンのパパではないが「これでいいのだ」
なのだ(笑)。
暇つぶしには最強・最適だが、それ以上でも以
下でもないというお気楽映画のお手本のような
作品。
ちなみに俺はただひたすらアンジーだけを愛で
て楽しんでいた(笑)。
昨今のハリウッドは、過去の名作のリメイクや
シリーズものの続投など、興行成績に安直に結
びつくような、ある意味情けない企画で作られ
た映画が目白押しだが、そんな中にあってオリ
ジナルな内容で勝負した点については、この映
画を素直に評価したいと思う。
こういう作り手の真摯な姿勢が観る者に共感を
抱かせるのではないだろうか?
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17歳のカルテ
スザンナ・ケイセンの原作に惚れ込んだウィノ
ナ・ライダーが製作と主演を買って出た意欲作
で、クレイモアという精神療養施設の内部の人
間模様を描いた映画だが、正直な所、ずいぶん
昔からあるような、例えば「女刑務所」物とそ
れほど大差がない内容に感じられた。
もちろんウィノナ・ライダーをはじめ、ウーピ
ー・ゴールドバーグやバネッサ・レッドグレイ
ヴ等芸達者が顔を揃えているだけあって、陳腐
なだけには終わらず、それなりの感動も残るし
施設の患者が雪の中を街に出る場面は「ハリー
・ポッターとアズカバンの囚人」をちょっと思
い出したりもした。
だが、やはり何といってもこの映画で本当に出
色なのは、事実この映画での演技でオスカーの
助演女優賞を獲ってしまったアンジェリーナ・
ジョリーだろう。
ウィノナ・ライダーがこの原作に惚れ込んだの
も、精神を病む若者の持つニューロティックさ
に役者魂がヴィヴィットに反応したからなのだ
ろうと思うが、そういう意味でのニューロティ
ックさが全開なのがこの映画で札つきの問題児
を演じるアンジェリーナ・ジョリーだ。
この若さにして、既にここまでの「鉄火肌の姉
御」ぶりを見せる彼女は見事のひとこと。
このアンジェリーナ・ジョリーの存在感の前に
は、ウィノナ・ライダーの思惑などどこかに消
し飛ばされてしまった感じだ。
う〜ん、アンジェリーナ・ジョリー。
まさに栴檀は双葉より芳し、といった所か。
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