【結城ヒカルに関するレポート 月光】
午後の二時三時ごろというと、
セレブの豪邸訪問とか、海の見える温泉宿特集とか、
そういうぬるい情報番組が流れてることが多い。
その日俺が見たのは
東京のある美術館で開かれている展覧会についてのリポートだった。
なんでもここ数年でそこそこの賞を取った若手の芸術家
十人を寄せ集めての展覧会だそうで、
見たことのない絵やオブジェに
聞いたことのない芸術家の名前が並んでいた。
その中で不意に見覚えのある絵が俺を釘付けにした。
いや、絵に見覚えがあったんじゃなくて
絵に描かれている人物が知り合いにそっくりだったんだ。
青白い月光に照らされた裸像。
ざっくりとしたショートヘアの「それ」はシーツだけを膝にかけ
床に座り込んで開け放たれた窓を見つめている。
こちらから見えるのは華奢な背中だけで、
顔はおろか男か女かもよくわからない。
十代後半から二十代前半といった頃だろうから、
少年か少女かわからないと言った方がいいだろうか。
色香と背徳感と狂気、そしてある種の神々しさが「それ」を彩っている。
とにかく、そんな絵だ。
「…など近年幅広く活躍中のイセキ・サーガラさんです!こんにちは!
今回の展覧会ではやはり
新凛展受賞作の『月光』が話題を呼んでいますね」
「そうですね。
この絵を気に入ってくださる方が結構いて、嬉しいかぎりです」
にこやかにインタビューを受けているのは、三十そこそこくらいだろうか、
長めの茶髪に薄いグレーのサングラスをかけた都会的色男。
展示作品には他にも、
真っ白なシャツを羽織って真っ白な部屋の真っ白なベッドに座って
少しだけこちらを振り返ろうかとしている「それ」の背中アップの絵や、
素肌に直接ボディペインティングを施した
極彩色の背中の写真まであるらしかった。
「あんなことしてさー、ルネ先輩怒んねえの?」
「モデルやってることは言ってあるよ」
「ヌードってことも?」
「めんどくせえなあ。なんか問題あんの」
ヒカルはため息をつきながら髪をかき上げた。
問題あんのって、そりゃ
彼女にヌードモデルやってることを黙ってられたら
なんか嫌なんじゃないかと思うが。
いや、モデル云々というか、
俺はあのサーガラという男とヒカルの関係を疑いたいのだ。
仮に二人がそんな関係でないとしても
少なくとも画家のほうはヒカルに対して
何がしか思うところがあるように感じる。
それくらい、あの絵たちはエロティックすぎた。
とくにあの月光という絵は。
白く浮かぶ背中。
余計なものは何もなくて、ただぞくっとするほど強烈な色香だけがある。
匂いの強い花みたいに、湿度の高い空気みたいに、
むうっとする甘い何かが見る者を包む。
すべすべしているだろう肌に触れてみたくてたまらないのに、
なにかきっぱりとした神々しさみたいなものがそれを阻む。
そんな権利をお前に与えた覚えはないとでも言うように。
見てる人間は、からからにのどが渇いたみたいな気持ちになる。
「ったくあのオッサン、人に黙ってテレビなんか出やがって」
とはいえ目の前のヒカルは色っぽくも神々しくもなく
ぶちぶち言っているわけだが。
聞けば、俺たちの地元近辺の展覧会ではヒカルの絵を出すなとか、
絵は勝手に売るなとか、いくつか条件をつけてやっているらしい。
顔のない絵しかないのもヒカルがそれしか描かせないせいだそうである。
「まあ、この近くの美術館じゃないし」
「テレビで流れたら一緒だろ!現にガランにバレたじゃん!」
大きな目をつりあげてきいきい言う姿は毛を逆立てた猫みたいだ。
結城ヒカル。
俺が小一か二くらいのときに近所に引っ越してきて、
六年になる前にまたどこかへ引っ越していった、ひとつ上の友達だ。
数年ぶりに再会したとき、「ああいう子は大人になったら女の子らしく
なるものよ」という俺の母親の予想を裏切って相変わらず、
ながらもまあ幾分かはきれいに、そして先輩の彼女になっていた。
正直俺はヒカルが男と付き合うということ自体意外だった。
ヒカルは昔から見た目も中身も男の子みたいだったし、今もそうだ。
男仲間の話にも平気で混ざれるし、
女の子と付き合ったこともあるみたいだ。
それはそれでヒカルらしいと思っている。
そのヒカルが女として男と恋愛するなんてことができたのかと疑問だった。
「ルネ先輩見てないといいな」
「ふん。見たって何も言わせねーけどな。悪いことしてないもん」
しかしこうけろっとしているところを見ると、
ただただ男とか女とか恋愛とか道徳とか
そういうことを深く考えないタチなのかもしれない。
先輩、苦労するだろうなあ。
「あーあ。あ、そういえば、ガラン、その絵って背中だけだよね?
顔出てるのあった?」
「ううん。少なくとも映ったやつはぜんぶ顔なし」
「よくそれで誰かわかったね?」
「わかるよ。チビのころは一緒に風呂も入った仲じゃないですか」
「そういうもんかね。てことは親も見てないといいな、って感じ?」
「かもね」
「あーあーもうー」
うんざりした顔でストローをがじがじ噛む。
そのクセ、まだ直ってないんだな。
何の気なしに携帯電話を開いたヒカルが、お、と短くつぶやいて
ゴミをまとめはじめる。
トレイを持って立ち上がったので
ついでに俺のゴミも捨ててくれるよう頼んだ。
気の早い店員がもう「ありがとうございました」を言っている。
「もうそんな時間かい」
「うん。じゃまた」
ゴミ箱の上にトレイを重ねてからひょいと手を振り、
ガラスのドアに消えていった。
俺は絵のことは詳しくないけど、ヒカルの絵なら話は別だ。
絵を見れば画家の気持ちはありありとわかる。サーガラは、俺と同じだ。
だってさ。
俺がもし画家なら、あんな絵を描く、と思うよ。
モデルはヒカル以外ありえない。
少年より柔らかい肌。少女より硬質な骨格。くびれすぎていないのもいい。
性がないのに性的。
青暗い闇に浮かぶ月色の肌が手の届く位置に座り込んでいる。
肩を掴んで、こっちを振り向かせて、それから……、
なんてイメージばかりが湧きあがるのを押し殺して筆を握る。
たしか左肩にほくろ、右太ももに小さな傷痕があったはずだよな。
覚えてるよ。もちろん絵には描かない。
そんなこと絵を見る大勢が知る必要はないからさ。
ひと筆ひと筆キャンバスの中のスケッチに触れるたび、
絵の中のお前がくすぐったがって身をよじる妄想にさいなまれて
手が震えるかもしれない。
タイトルは月光。つきに、ひかる。
知らないだろヒカル。
十歳の俺に夢精と自慰を教えたのはお前だったなんてこと。
お前の恋人になる女や男たちにもはや嫉妬さえ覚えないくらい
俺たちをからからにさせてるなんてことを。
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